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マドンナ (Madonna 本名:Madonna Louise Ciccone(マドンナ・ルイーズ・チッコーネ)、1958年8月16日-)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のシンガーソングライター、女優、映画監督、文筆家、実業家。
愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、近年では「ポップスの女王(Queen of Pop)」とも言われる。
2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。
人物 [編集]
80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1984年の大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」を機にポピュラー音楽のチャートで成功を収め、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に「ホリディ」、「クレージー・フォー・ユー」、「ヴォーグ」、「ミュージック」、「ハング・アップ」など多数がある。
MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながらポップアートと音楽を融合し、日本では「マドンナ旋風」[1] とも呼ばれた現象的な成功を収める。セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至る。彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された[2]。
来歴 [編集]
マドンナ(1996年、マドリードにて)1958年8月16日、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティ(Bay City)マーシー病院で、8人兄妹の3番目に出生。1987年ごろまで1961年生まれということにしていたが、1989年発売のCD『ライク・ア・プレイヤー』のライナーには1958年生まれとはっきり記載があるため、この頃までに元に戻したと思われる。
父はイタリア系シルビオ・チッコーネ、母はフランス系マドンナ・ルイーズ・チッコーネ(母と同名)。幼少期を、同州ポンティアック市(Pontiac)で過ごし、後に家族が増えたため、同州ローチェスターヒル市(Rochester Hills)へ転居した。
父は、GMのデザインエンジニア。実母はマドンナが6歳の時乳癌で逝去し、父はほどなく再婚した。母の死や後の父・継母との確執は彼女の精神性に大きな影響を及ぼし、「Promise To Try」「Oh Father オー・ファーザー」などの楽曲で歌われている。弟や妹の面倒もよく見ていた。そんな中でも、多くの習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親に「バレエを習いたい」と懇願し、変えてもらう。その後、モダンダンス、ジャズダンスなど、ダンスを多く習い始める。
1977年、35ドルを手にグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ行って!」と言い、タイムズスクウェアで降りたのは有名な話。なおベジタリアンとなったのもNY移住後である。
1978年 ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。
2000年12月22日にスコットランドのドーノック大聖堂にて映画監督のガイ・リッチーと結婚したが、2008年10月15日にマドンナの広報リズ・ローゼンバーグが夫婦の離婚を正式に発表した。
歌手活動の経歴 [編集]
詳細は「マドンナの歌手活動の歴史」を参照
映画 [編集]
A Certain Sacrifice (1979)
ビジョン・クエスト/青春の賭け Vision Quest (cameo appearance) (1985)
マドンナのスーザンを探して Desperately Seeking Susan (1985)
上海サプライズ Shanghai Surprise (1986)
フーズ・ザット・ガール Who's That Girl (1987)
Bloodhounds Of Broadway (1989)
ディック・トレイシー Dick Tracy (1990)
イン・ベッド・ウィズ・マドンナ Truth or Dare (In Bed With Madonna) (1991)
Shadows & Fog (cameo appearance) (1992)
プリティ・リーグ A League Of Their Own (1992)
ボディ Body Of Evidence (1993)
ボディ2/スネーク・アイズ Dangerous Games (Snake Eyes) (1993)
フォー・ルームス Four Rooms (1995)
Blue in the Face (cameo) (1995)
ガール6 Girl 6 (1996)
エビータ Evita (1996)
2番目に幸せなこと/ネクスト・ベスト・シング The Next Best Thing (2000)
スウェプト・アウェイ Swept Away (2002)
007シリーズ 007 ダイ・アナザー・デイ Die Another Day (2002年)
アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット I'm Going To Tell You A Secret (2005)
以上がマドンナが主演してきた映画である。最悪の映画を選ぶゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)の常連でもある。最悪主演女優賞は 『上海サプライズ』 『フーズ・ザット・ガール』 『ボディ』 『2番目に幸せなこと/ネクスト・ベスト・シング』 『スウェプト・アウェイ』 の5回 (『スウェプト・アウェイ』 は最悪スクリーンカップル賞も)、これに最悪助演女優賞の 『フォー・ルームス』 『007 ダイ・アナザー・デイ』、2000年の特別賞としての20世紀最悪主演女優賞とあわせて9回の受賞歴がある。その一方で得意の歌唱力を生かしたエビータのエバ・ペロン役では、ゴールデングローブ賞の女優賞を獲得するなど真っ当な評価を受けている。 初監督作品「ワンダーラスト」2009年1月、日本公開。
ディスコグラフィ [編集]
詳細は「マドンナのディスコグラフィ」を参照
売上記録 [編集]
全世界でのトータルセールスは2億5000万枚。
シングルセールス・ベスト10 [編集]
ハング・アップ(2005):870万枚
ミュージック(2000):760万枚
ヴォーグ(1990):600万枚
アメリカン・パイ(2000):590万枚
ソーリー(2006):540万枚
ドント・テル・ミー(2000):500万枚
ライク・ア・プレイヤー(1989):440万枚
ライク・ア・ヴァージン(1984):400万枚
ジャスティファイ・マイ・ラヴ(1990)、マイ・プレイグラウンド(1992):310万枚
フローズン(1998)、ホワット・イット・フィールズ・ライク・フォー・ア・ガール(2001):300万枚
全米1位獲得アルバム [編集]
Like A Virgin ライク・ア・ヴァージン (1984)
True Brue トゥルー・ブルー (1986)
Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー (1989)
Music ミュージック (マドンナ) (2000)
American Life アメリカン・ライフ (2003)
Confessions On a Dance Floor コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア (2005)
Hard Candy ハード・キャンディー (2008)
全英1位獲得アルバム [編集]
Like A Virgin ライク・ア・ヴァージン (1984)
True Brue トゥルー・ブルー (1986)
Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー (1989)
Ray Of Light レイ・オブ・ライト (1998)
Music ミュージック (マドンナ) (2000)
American Life アメリカン・ライフ (2003)
Confessions On a Dance Floor コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア (2005)
Hard Candy ハード・キャンディー (2008)
日本国内での1位獲得アルバム [編集]
※オリコン集計によるもの。
True Brue トゥルー・ブルー(1986) ※CDチャートのみ
Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー (1989)
I'm Breathless アイム・ブレスレス (1990)
Hard Candy ハード・キャンディー (2008)
全米1位獲得シングル [編集]
Like A Virgin ライク・ア・ヴァージン (1984)
Crazy For You (1985)
Live to tell (1986)
Papa Don't Preach (1986)
Open Your Heart (1986)
Who's That Girl (1987)
Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー (1989)
vogue ヴォーグ (1990)
Justify My Love (1991)
This Used To Be My Playground (1992)
Take A Bow (1995)
Music (2000)
全英1位獲得シングル [編集]
Into The Groove (1985)
Papa Don't Preach (1986)
True Blue (1986)
La Isla Bonita (1987)
Who's That Girl (1987)
Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー (1989)
vogue ヴォーグ (曲) (1990)
Frozen (1999)
American Pie (2000)
Music (2000)
Hung Up ハング・アップ (2005)
Sorry ソーリー (2006)
4 Minutes フォー・ミニッツ (2008)
Madonna studio collaborating musician: Jay Metarri
『Hot Dance Music/Club Play』No.1獲得曲 [編集]
米ビルボードにあるチャート・カテゴリーの一つがこの『Hot Dance Music/Club Play』。ダンスソング向けに作られたチャートで、1974年10月26日よりスタートした。マドンナは、これまでに計39曲をチャートNo.1に輝かせている。これは、アーティストの中では第1位の記録である。
01.Holiday/Lucky Star(1983)
02.Like A Virgin ライク・ア・ヴァージン(1984)
03.Material Girl(1985)
04.Angel/Into The Groove(1985)
05.Open Your Heart(1986)
06.Causing A Commotion(1987)
07.You Can Dance(LP Cuts)(1987)
08.Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー(1989)
09.Express Yourself エクスプレス・ユアセルフ(1989)
10.Keep It Together キープ・イット・トゥゲザー(1990)
11.vogue ヴォーグ (曲)(1990)
12.Justify My Love(1990)
13.Erotica(1992)
14.Deeper And Deeper(1992)
15.Fever(1993)
16.Secret(1994)
17.Bedtime Story(1995)
18.Don't Cry For Me Argentina(1997)
19.Frozen(1998)
20.Ray Of Light(1998)
21.Nothing Really Matters(1999)
22.Beatiful Stranger(1999)
23.American Pie(2000)
24.Music(2000)
25.Don't Tell Me(2000)
26.What It Feels Like For A Girl(2001)
27.Impressive Instant(2001)
28.Die Another Day(2002)
29.American Life アメリカン・ライフ(2003)
30.Hollywood(2003)
31.Me Against The Music(2003)
32.Nothing Fails(2003)
33.Love Profusion(2004)
34.Hung Up ハング・アップ(2005)
35.Sorry ソーリー(2006)
36.Get Together ゲット・トゥゲザー(2006)
37.Jump ジャンプ (マドンナ)(2006)
38.4 Minutes (2008)
39.Give It 2 Me (2008)
Madonna studio collaborating musician: Jay Metarri
日本ゴールドディスク大賞 [編集]
1986年(第1回) [編集]
日本ゴールドディスク大賞(洋楽部門)
グランプリ・アルバム賞・・・「トゥルー・ブルー」
アルバム賞(ポップス・ソロ部門)・・・「トゥルー・ブルー」
1989年(第4回) [編集]
日本ゴールドディスク大賞(洋楽部門)
グランプリ・アルバム賞・・・「ライク・ア・プレイヤー」
アルバム賞(ポップス・ソロ部門)・・・「ライク・ア・プレイヤー」
1990年(第5回) [編集]
日本ゴールドディスク大賞(洋楽部門)
グランプリ・アルバム賞・・・「アイム・ブレスレス」
アルバム賞(ポップス女性部門)・・・「アイム・ブレスレス」
1992年(第7回) [編集]
日本ゴールドディスク大賞(洋楽部門)
アルバム賞(ポップス部門)・・・「エロティカ」
2008年(第23回) [編集]
アーティスト・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)
「着うた(R)」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
「着うたフル(R)」ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
PC配信ソング・オブ・ザ・イヤー(洋楽部門)・・・「マイルズ・アウェイ」
ザ・ベスト3アルバム・・・「ハード・キャンディー」
実績として、アルバム「ハード・キャンディー」が31万4595枚。配信が1,005,523DLだった。
グラミー賞 [編集]
マドンナは、過去に数多くの音楽賞を受賞またはノミネートされてきたが、グラミー賞は少ない。ここでは、受賞したものだけ取り上げる。
1992 [編集]
Best Music Video,Long Form (Blond Ambition Tour)
1999 [編集]
Best Pop Album (Ray Of Light レイ・オブ・ライト)
Best Short Form Music Video (Ray of Light)
Best Recording Package for Art
2000 [編集]
Best Song Written for a Motion Picture (Beautiful Stranger)
2001 [編集]
Best Recording Package (Music)
2007 [編集]
Best Electronic/Dance Album (Confessions On A Dance Floor)
アカデミー賞 [編集]
1991 [編集]
Best Original Song "Sooner or Later"
1997 [編集]
Best Original Song "You Must Love Me"
ワールド・ツアー [編集]
マドンナのツアーは、開催される度に世界各国のメディアが報じるほど評判が高い。基本的には、アルバムの発売後にツアーを行なう。2001年の「Drowned World Tour」は、1993年の「The Girie Show Tour」から8年後に開催された。1994年にリリースされたアルバム『Bedtime Stories ベッドタイム・ストーリーズ』の後にツアーが予定されていたが、映画『エビータ』の主演が決定したために中止されたという逸話がある。2004年の「The Re-Invention Tour」では、10thアルバム『American Life アメリカン・ライフ』からの楽曲以外にも過去のアルバムからの曲がセットリストに組み込まれ、マドンナの歴代ツアーの中でも1990年の「Blond Ambition Tour」と争うほどの人気のあるツアーである。2001年の「Drowned World Tour」では、過去のツアーと比べかなりダンス・パフォーマンスが減った。
更に毎回、巨大セットにも注目が集まる。過去に登場した代表的なセットとしては、1990年の『Blond Ambition Tour』のオープニングで登場した、工場をモデルにしたセット、2006年の『Confessions Tour』での総額2億円のミラーボールと高さ6メートルの十字架などがある。これらの数々の巨大セットを上手く使用した演出もマドンナ独自のライブ演出としての特徴だろう。
そして、もう一つ欠かせない要素が毎回ファンを魅了するダンス。ツアーを重ねる度に、昔ながらの力強いダンス・パフォーマンスは減っていっているものの、年齢を感じさせない観客を魅了するダンスは常に健在である。
1985年「The Virgin Tour」(4月10日~6月11日 全40公演)
(アメリカ/カナダ)
1987年「Who's That Girl Tour」(6月14日~9月6日 全41公演)
(日本/アメリカ/カナダ/イギリス/ドイツ/オランダ/フランス/イタリア)
日本では同じ年にツアーを行ったマイケル・ジャクソンと合わせ「M・M旋風」と呼ばれた。
1990年「Blond Ambition Tour」(4月13日~8月5日 全57公演)
(日本/アメリカ/カナダ/スウェーデン/フランス/イタリア/ドイツ/イギリス/オランダ/スペイン)
1993年「The Girlie Show Tour」(9月25日~12月19日 全39公演)
(イギリス/フランス/イスラエル/トルコ/カナダ/アメリカ/プエルトリコ/アルゼンチン/ブラジル/メキシコ/オーストラリア/日本)
2001年「Drowned World Tour」(6月9日~9月15日 全47公演)
(スペイン/イタリア/ドイツ/フランス/イギリス/アメリカ)
2004年「The Re-Invention Tour」(5月24日~9月14日 全56公演)
(アメリカ/カナダ/イギリス/アイルランド/フランス/オランダ/ポルトガル)
2006年「Confessions Tour」(5月21日~9月21日 全60公演)
(アメリカ/カナダ/イギリス/イタリア/ドイツ/デンマーク/フランス/オランダ/チェコ/ロシア/日本)
2008年「Sticky & Sweet Tour」
特徴 [編集]
ギター [編集]
『Drowned World Tour』から、マドンナはダンスのほかにギターを使用したステージも披露している。エレクトリックギターとアコースティック・ギターを使用し、『The Re-Invention Tour』と『Confessions Tour』ではエレキ・ギターを弾くレベルが一段と高くなったことが分かる。
★エレクトリック・ギター
Candy Perfume Girl(Drowned World Tour)
Burning Up(The Re-Invention Tour)
Material Girl(The Re-Invention Tour)
I Love New York(Confessions Tour)
Ray of Light(Confessions Tour)
★アコースティック・ギター
I Deserve It(Drowned World Tour)
Secret(Drowned World Tour)
La Isla Bonita(Drowned World Tour)
Nothing Fails(The Re-Invention Tour)
Mother And Father(The Re-Invention Tour)
Paradise (Not For Me)(Confessions Tour)
コラボ [編集]
2001年『Drowned World Tour』を機に、大型スクリーンが使用されており、マドンナはゲストと豪華競演を果たしている。
マイク・マイヤーズ 2001年『Drowned World Tour』の『Beatiful Stranger』の冒頭で一瞬だけ共演。マドンナとマイク・マイヤーズは同曲のPVでも共演を果たしている。
ミッシー・エリオット 2004年『Re-Invention Tour』の『Into The Groove』で登場。マドンナとミッシーがモデルとなったGAPがきっかけにコラボが実現。ラップ部分でスクリーンに登場している。
日本公演 [編集]
この項目はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点からの説明がされていない可能性があります。ノートでの議論と記事の発展への協力をお願いします(Template:国際化)。
1987年「Who's That Girl Tour」
6月14(ツアー初日公演)・15日、大阪球場
6月21・22日、後楽園球場
東京公演初日6月20日の後楽園球場は雨天により中止となった。
1990年「Blond Ambition Tour」
4月13(ツアー初日公演)~15日千葉マリンスタジアム(杮落とし)、4月20~22日 阪急西宮球場、4月25~27日 横浜スタジアム
1993年「The Girlie Show」
12月7~9日、福岡ドーム
12月13・14・16・17・19日(ツアー最終公演)、東京ドーム
2005年 『Confessions On A Dance Floor』プロモーションライブ
12月7日、新木場STUDIO COAST
2006年「Confessions Tour」
9月16日・17日(追加公演)、京セラドーム大阪
9月20日・21日(追加公演・ツアー最終公演)、東京ドーム
書籍 [編集]
SEX by MADONNA
1992年に発売されたヌード写真集。日本ではヘアが未修正だったことが問題となり増刷されなかった。この写真集では男性のシンボルが未修正のまま露出されており、そこでマドンナが男性のシンボルを銜え、その男性が液体をマドンナに向けて出している写真までがある。しかし、警察は何の手出しをすることもできなかった。
マドンナ語録 (ブルース・インターアクションズ、2006年)
絵本 [編集]
イングリッシュ ローズィズ(2003年、日本語訳:江國香織、イラスト:ジェフリー・フルビマーリ)ISBN 4-8342-5096-2
ピーボディ先生のりんご(2004年、日本語訳:村山由佳)ISBN 4-8342-5047-4
ヤコブと七人の悪党(2004年、日本語訳:角田光代、イラスト:ガナディ・スピリン)ISBN 4-8342-5099-7
アブディーの冒険物語(2005年、日本語訳:小沢征良)ISBN 4-8342-5118-7
オカネ・モッチャが見つけたしあわせ(2005年、日本語訳:井上荒野、イラスト:ルイ・パイシュ)ISBN 4-8342-5119-5
イングリッシュ・ローズィズ2 (2007年、日本語訳:江國香織、イラスト:ステイシー・ピーターソン)ISBN 978-4-8342-5134-0
映像作品 [編集]
プロモーション・ビデオ [編集]
The Immaculate Collection/ベスト・ヒット・コレクション
The Video Collection/ベスト・ヒット・コレクション 93-99
ツアー [編集]
Ciao Italia/チャオ・イタリア-ライヴ・フロム・イタリー
The Girlie Show-Live Down Under/ザ・ガーリーショウ~from オーストラリア
Drowned World Tour 2001/ライヴ・イン・デトロイト 2001
The Confessions Tour/ザ・コンフェッションズ・ツアー(DVD+CD)
アルバムのキャッチコピー [編集]
1983:『バーニング・アップ』
A STAR IS BORN キューティ・ルック、キューティ・ヴォイス、ニューヨークの素敵な妖精マドンナ
1984:『ライク・ア・ヴァージン』
N.Yからショッキング・センセーション! 時代は今マドンナに首ったけ
1986:『トゥルー・ブルー』
自由奔放、しなやかな感性。もっとセクシー、マドンナ86 全世界があなたに夢中
1987:『ユー・キャン・ダンス』
そして、スーパー・ヒロインは21世紀にはばたく
1989:『ライク・ア・プレイヤー』
祈りが如く。伝説から神話へ。
1990:『ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ』
完全、マドンナ
1992:『エロティカ』
マドンナに、この世が燃えてしまう
1994:『ベッドタイム・ストーリーズ』
マドンナがすべての恋人達に贈るロマンティックな夢語り(ベッドタイム・ストーリーズ)
1995:『ベスト・オブ・マドンナ~バラード・コレクション』
愛の数だけやさしくなれる
1998:『レイ・オブ・ライト』
愛する人々へ。マドンナが捧ぐひとすじの愛の光(レイ・オブ・ライト)
2000:『ミュージック (マドンナ)』
マドンナが歌う。世界が踊る。
2001:『グレイテスト・ヒッツ VOL.2Vol.2』
究極、マドンナ
2003:『アメリカン・ライフ』
マドンナが語り始めた
2003:『イントゥ・ザ・ハリウッド・グルーヴ〜リミックスド・アンド・リヴィジテッド』
YOU CAN DANCE!!
2005:『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』
クイーン・オブ・ポップ:マドンナ ダンスフロアへ、ふたたび降臨
2006:『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』
私の秘密を、話しましょう
2007:『コンフェッションズ・ツアー・ライヴ』
あなた、告白した?-Have You Confessed?
2008:『ハード・キャンディー』
最新型マドンナ・サウンド遂に完成!世界のトップ・ヒット・メーカーがこの1枚に集結!
チャリティ・ライヴ出演歴 [編集]
1985年 Live Aid [編集]
Hoiday
Into The Groove
Love Makes The World Go Round
マドンナは、アメリカのフィラデルフィアにあるJFKスタジアムからの出演となった。『Love Makes The World Go Round』はこのライヴ・エイドのために制作された楽曲で、後に3rdアルバム『トゥルー・ブルー』に収録された。
2005年 Tsunami Aid:A Concert of Hope [編集]
Imagine
2004年12月下旬にスマトラ島沖地震により発生した津波で被害を受けた被災地を救うために放送された番組にマドンナはロンドンのスタジオから出演。前年に行なった自身のツアーでも披露した『Imagine』を熱唱。
2005年 Live8 [編集]
Like A Prayer
Ray Of Light
Music
ライヴ・エイドの第2弾ともいうべき最大のチャリティ・ライヴ。マドンナはロンドンのハイド・パークから出演。聖歌隊やダンサーを従え、自身の代表曲をパワフルに熱唱した。特に『Like A Prayer ライク・ア・プレイヤー』では飢餓によって危険な状態だったとこから奇跡的に助かった女の子が登場。マドンナと手をつないで歌うステージはライヴ・エイト最大のハイライトの一つと言われている。
2007年 Live Earth [編集]
Hey You
Ray of Light
La Isla Bonita
Hung Up ハング・アップ
地球温暖化の問題を訴えかけるために開催されたLive Earthにマドンナはロンドンのウェンブリー・スタジアムから出演。『Hey You』は、このライヴのために制作されたチャリティソングで、ダウンロードのみでの公開となった。マドンナは、ニューヨークのバンドEugene Hutzと『La Isla Bonita』でコラボ。『Lela Pala Tute』という曲をミックスさせたアレンジで披露した。
お騒がせ事件集 [編集]
大胆な十字架パフォーマンス [編集]
2006年の「Confessions Tour」の中で、マドンナは高さ6メートルの巨大十字架に自ら磔(はりつけ)となり往年の大ヒット曲『Live To Tell』を歌う演出が世界中の宗教団体から非難を浴びた。ヨーロッパ・ツアーの一環としてイタリア・ローマ公演の際、公演前からカトリック教会やイスラム教やユダヤ教指導者からの非難の声が続出。「無礼で悪趣味、かつ挑発的」、「神への冒涜に近い」とカトリック聖職者らは非難。更には、「国に帰ったほうがいい」とイスラム教やユダヤ教の指導者からも非難の声が出ている。 そんな中、8月6日のローマ公演での十字架パフォーマンスが非難を浴びる中で強行された。マドンナは、ローマ教皇ベネディクト16世を招待し、怒りを刺激。カトリック教会の中心地であるバチカン市国からわずか1.6キロ離れたスタディオ・オリンピコに来た約7万人の観客は十字架に磔になったマドンナが登場すると一瞬、静まり返ったという。
アフターパーティー [編集]
2006年9月20日(水曜)東京ドーム公演終了後「都内某クラブにてマドンナがアフターパーティーを行う」とうたった情報がmixi上で流された。「早めの入場でないと入れない場合がある」といった煽りもあり、オープンと同時に多数のファンが詰め掛けた。しかしながらマドンナ本人は現れなかった(公演終了後ホテルに戻り食事をとっていた)。またマドンナの娘ローデス、クルー、バックダンサーは来場していた。
落馬事故 [編集]
2005年8月16日、イギリス・ロンドン郊外に所有する18億円の邸宅の庭で47歳の誕生日プレゼントとして夫のガイ・リッチーから贈られた馬に試し乗りをしてたところ、落馬をし全治3ヶ月の大怪我を負った。診断の結果、肋骨3本にひびが入り、鎖骨と手を骨折していたことが判明。すぐに病院に搬送されたが入院はせず、なんとその日に治療を済ませて帰宅したという。医師は「マドンナさんは日ごろからヨガで鍛錬しているため、回復も早いだろう」と語っていた。マドンナは骨折をしているのにも関わらず、事故の3日後にはロンドン市内のカバラ・センターから出てくるのを目撃されたり、携帯メーカーのモトローラのCMの撮影も済ませるなど超人並みなところを見せている。アルバム『Confessions On A Dance Floor』のプロモーションにも支障は出なく、全世界でのメディアはマドンナの驚異的な回復に驚いていた。
因みに病院で撮影されたレントゲン写真8枚は2006年「Confessions Tour」で「ライク・ア・ヴァージン」を歌っているときに演出としてスクリーンに映し出された[3]。
人物 [編集]
ショーン・ペン
ガイ・リッチー
ロザンナ・アークエット
ウォーレン・ベイティ
ロージー・オドネル
アントニオ・バンデラス
リッキー・マーティン
プリンス
マイケル・ジャクソン
ベリンダ・カーライル
ビョーク
ブリトニー・スピアーズ
マリリン・モンロー
ジャン・ポール・ゴルチエ
ゴーゴル・ボールデロ
記録 [編集]
全英シングルチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代1位):13作
全米シングルチャートTOP10獲得数(アーティスト歴代1位):37曲
ポップ・ミュージック史上アルバムNo.1最多獲得国数:40ヶ国(Confessions On A Dance Floor/2005年)
ポップ・ミュージック史上シングルNo.1最多獲得国数:43ヶ国(Hung Up/2005年)
全米アルバムチャートNo.1獲得数(女性ソロアーティスト歴代2位):7作
ソロ歌手の1位インターバル最長記録:17年11ヶ月
3年代連続1位(1989:Like A Prayer,1990:I'm Breathless,2008:Hard Candy)
ツアー興行収入最高記録(女性アーティスト歴代1位):233億円(Confessions Tour/2006年)